信長はなぜ岐阜城に移転したのか?
革命児・織田信長は天才だったため、次々と拠点を移動したなどとよくコラムなどに書かれているが、考えてみると意味不明ではないか?
移転しなかった武田や上杉は愚かなのか?どう考えても馬鹿馬鹿しい説明だろう。
信長の目的は当初から上洛であり、より京に近いルートに移動しているだけである。
史実では同盟相手となった浅井領からの上洛ルートが確保できたから美濃に移ってきた。単純明快。
ちなみに本作では、京までの進軍距離が10日程度違うだけで、あえて大金を支払って移転するメリットがあまり感じられない。
岐阜→50日
清州→60日
さらに
- 簡単に伊勢長島が陥落してしまうため、尾張からのアクセスを遮る拠点がない
- 六角も簡単に滅ぼせるため、甲賀/伊賀など六角氏がしぶとく抵抗の拠点にしていた地もあっさり制圧
- 亀山-甲賀の間は、本作でも山道扱い。多数の軍団を通過させようとすると渋滞するが調整すればそこまで進軍に支障はない。
現実には大軍を移動するには向いていない細い道のようだが・・
幻の上洛作戦
史実では岐阜城に移転し上洛を敢行した信長であるが、これ以外のルートも色々と考えていたようである。
この計画が実現していれば、岐阜城に移転しないまま尾張から上洛を決行していたかもしれない。